2023-08-18
日常で耳にする「引導(いんどう)を渡す」は、あまり良い意味ではないイメージがあります。この言葉は、単なる慣用句のようですが、実は仏式由来の仏教用語なのです。
この引導を、マナーの一環として押さえておく必要性はありません。しかしながら、その意味を理解することで適切に使用できるようになり、様々な知識を広めるための助けにも繋がります。当記事では、引導の意味や語源の他にも、ご葬儀に関する「引導の儀式」についてもご紹介していますので、ぜひご一読ください。
「引導を渡す」とは、相手をあきらめさせるための、最終的な宣告をする時に使われます。例えば、相手を見捨てる、ビジネス上で契約を切る、アスリートに戦力外通告をする際に用いられるため、一般的にあまり良いイメージを持たれていません。
近年では、良い意味で用いられることのない「引導を渡す」ですが、この語源は仏道からきています。本来は、亡くなった方があの世で迷うことのないよう極楽浄土へ渡れるように導く、という意味合いが込められているのです。
そもそも引導には、死者を葬る前に仏の悟りへと導き、法語で済度してから浄土へ導くという意味があります。簡単にまとめると、死者を仏道へ入れるということです。
この説法は、死者に自分は亡き者である自覚を持たせるところから始まります。これが元となり、「余力はもうない、残り少ないと分からせる」などの意味へ変化したため、最終宣告の時は引導が使われるようになりました。
どういった時に「引導を渡す」が用いられるのでしょうか。例文で確認してみましょう。
・当社は、新技術を開発した会社に引導を渡されてしまった。
・活躍できない野球選手が、監督から引導を渡された。
・信頼していた友人から裏切られたので、付き合いを断つため引導を渡した。
補足すると、「引導を渡す」と同じような意味を持つ言葉として、「観念させる」「宣告する」「とどめを刺す」「言い聞かせる」「苦言を呈す」などが挙げられます。
引導は、仏式のご葬儀特有の儀式です。亡くなった方が迷うことなく極楽浄土へ旅立てるよう、ご葬儀において引導の儀式が執り行われます。祭壇の前に座った僧侶(禅師)が、故人様を称え、浄土へ旅立つための法語や偈頌(げじゅ)を唱えます。
少し前の時代では、引導の儀式に火を灯した松明(たいまつ)が用いられていました。この松明には、故人様の煩悩を浄化して悪霊を消し去る意味合いを持ち、引導の儀式には欠かせない道具として使われていました。現在では安全面が優先され、本物の松明が使用されることはほとんどありません。その代わりとして、松明を模した物品が祭壇や棺の近くに置かれることもあるようです。
引導の儀式の後は焼香を行い、用意された花を棺に入れ最後のお別れを行ってから、火葬場へ向かいます。
引導の儀式で唱えられる法語は、故人様を仏門へ諭し、浄土へ導くための読経です。
法語の一例として、禅宗(ぜんしゅう)では引導法語(いんどうほうごう)を唱えます。禅宗とは、座禅を修行の一環とし、自己を鍛えて悟りを開いていく考えの仏教一派です。引導法語は、故人様の生前の様子をご遺族に聞きながら、四六文(しろくもん)と呼ばれる漢詩文を用いて作成され、引導の儀式の際に唱えられます。
引導の儀式は、同じ仏教徒でも宗派によって様式や特徴に様々な違いがあります。どういった違いがあるのか、その内容をご紹介していきます。
臨済宗(りんざいしゅう)は、禅宗の一派です。ご葬儀については、故人様を成仏させるための厳かなる法要と考えられています。人間界で様々な修行を重ねてきた故人様を仏弟子へ導く「受戒」、そして仏の世界へと連れ行く「引導」の作法を中心として、儀式が進んでいくのが一般的です。
僧侶は故人様を剃髪(ていはつ)し、仏弟子と認める得度式(とくどしき)、生前の悪行を改めさせる懺悔文(さんげもん)、故人様の心身を浄化させる三帰戒(さんきかい)を説きます。
さらに、この世の諸行無常(しょぎょうむじょう)、現世との縁を断つ引導法語を説いたら、最後に大きな声で「臨済の一喝」を唱えます。この一喝は、故人様が持つこの世との未練を断ち切るもので、臨済宗で行われるご葬儀の大きな特徴です。
曹洞宗(そうとうしゅう)は、道元が中国の宋(そう)から日本に伝えた禅宗で、ご葬儀の考え方としては、臨済宗と概ね同じです。ご葬儀が進み終盤へ差し掛かると、読経していた僧侶が立ち上がります。ここから、現世との縁を断つ引導法語を用いた「引導の儀式」が行われます。
大きな声で「喝(カツ)」「露(ロ)」、落ち着いた口調で「咦(イ)」などと説きながら引導を渡す点が特徴です。
浄土宗(じょうどしゅう)は、鎌倉時代に法然上人が説いた仏教のひとつです。浄土宗にとってのご葬儀とは、阿弥陀(あみだ)のお迎えを受け、スムーズな極楽浄土を促すための儀式と認識されています。
浄土宗では、亡くなったばかりの故人様が、すぐに仏道を極めるのは困難だと考えられています。そこで悟りの道を歩むため、阿弥陀のいらっしゃる極楽浄土へ案内する行為を「引導」としているのです。
浄土宗で行われる儀式の特徴としては、僧侶や参列者全員で、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を10回唱えることです。これは、故人様が迷うことなく極楽浄土へ行けるようにするための儀式で、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)と呼ばれています。
また、引導の儀式は引導下炬(いんどうあこ)と呼ばれ、かつては松明へ火を灯して火葬を行っていました。しかしながら現在では、防犯の観点から火をつけることはせず、僧侶が火をつける仕草のみで儀式が行われています。
浄土真宗とは、親鸞が説いた鎌倉仏教と呼ばれる宗派のひとつです。ご葬儀に関しては他力本願の教えで、冥福を祈らずとも、念仏のみで故人様はすぐに成仏できると考えられています。これは、阿弥陀如来(あみだにょらい)の力によるものです。したがって、僧侶による引導の儀式の必要がないため、行われることはありません。
天台宗(てんだいしゅう)を日本に説いたのは鑑真(がんじん)で、広げたのは最澄(さいちょう)です。「群衆は全て仏になれるため、仏さまと深く縁を結ぶもの」これが天台宗の持つ、死者への概念です。
天台宗では仏の弟子になるための準備として、故人様の心身を浄化する儀式を行います。次に、仏の教えである三帰授戒(さんきじゅかい)を授かり、仏の弟子となった証の戒名(かいみょう)を受けます。
旅立ちの準備が整ったら、いよいよ引導の儀式です。故人様の持つこの世へ執着心を断つため、再度仏の教えを説き、迷いなく極楽浄土へ向かえるための儀式を行います。引導後は、浄土宗と同様に「下炬の儀式」が行われます。ただし、ここでも安全面が優先されるため、松明への点火は行いません。
真言宗(しんごんしゅう)は、空海(くうかい)が説いた宗派で、宇宙の真理とされている大日如来をご本尊としています。真言宗ではご葬儀で、故人様を仏の道へ引き入れ導くための引導作法(いんどうさほう)と呼ばれる儀式を行います。
僧侶は偈文(げもん)を唱えながら故人様の剃髪を行い、仏の教えを説いた後で戒名を授け、旅立ちの準備を整えるといった流れが一般的です。その後、故人様の成仏を願いながら理趣経(りしゅきょう)を唱え、引導作法の儀式は終了します。
現代においての「引導を渡す」は、あきらめさせるというネガティブな意味合いを持っているため、あまり良いイメージはありません。しかしながら、語源の仏教においては仏の道を諭して極楽浄土へ導くというポジティブな意味を持つ言葉です。
ご葬儀における引導は、故人様が無事に仏の世界へ着けるようにという思いを込めて行われます。引導の有無などは宗派によって異なるものの、故人様を丁重に見送りたい気持ちに変わりはありません。
60年の歴史と実績のあるセレモニーのご葬儀専門ディレクターが監修。喪主様、ご葬家様目線、ご会葬者様目線から分かりやすくのご葬儀のマナー知識をお伝えします。
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